イラストで読む メソッド演技 |
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マイズナーのメソッド演技です。
Part.2 は基礎練習編、Part.3 は実践練習編です。 |
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マイズナーは、このときわずか二十五歳だったが、創立メンバーの一人となった。 1930年代のアメリカの芸術行動におけるグループ・シアターの重要性について考えてみるために、劇作家アーサーミラーの言葉を引用しよう。ミラーは、彼の劇作集(グループが解散後30年以上を経て、1957年に出版)の序文に書いている。 「私が、演劇と自分が結ばれていると感じるようになったのは、グループ・シアターの公演を見てからだ。 その公演は、その後アメリカでは並ぶもののないアンサンブルのすばらしさを持っていたばかりでなく、俳優と観客が一体となった空気を作り出していた。そこには、予言劇を見るときのような約束事があり、私には宗教と信仰がドラマの中心であったギリシャ演劇の情景を思わせた。 私はバルコニーの55セントの席から公演を見た。そして、幕間に観客の熱気と情熱が、食欲ばかりではなく思考の中にも入り込んでいることが感じられた。もし私が作家としてのエゴから公演の欠点を見つけたとしても、ほとんどすべての演技は私に霊感を与えるものであった・・・。」 1938年、グループ・シアターは、もっとも成功した作品、クリフォード・オデッツの『ゴールデン・ボーイ』(マイズナーは、その中で呼び物の役、凶悪なギャング、エディ・フセリを演じた)をロンドンで上演した。 『ロンドン・タイムズ』の批評家、ジェームズ・アゲートは簡単に書いている。「その演技は、私たちがまだ知らないあるレベルに達している。」 グループ・シアターの演技の質の源は、モスクワ芸術座とそのシステムと呼ばれる演技の理論と実践にある。システムは、演出家の一人、コンスタンチン・スタニスラフスキーによって発展させられた。 スタニスラフスキーは、グループにとって二つの理由から重要である。 一つにはスタニスラフスキーは、二人の有名なモスクワ芸術座の俳優、リカルド・ボレスラフスキーとマリア・オウスペンスカヤを教えたことである。 二人は、1924年にニューヨークに移住し、アメリカン・ラボラトリー・シアターを創立した。その六年間の活動の中で、この学校は数百人のアメリカの俳優と演出家をスタニスラフスキー・システムの初期の方法を使って訓練した。女優のステラ・アドラー、ルース・ネルソン、ユーニス・ストッガードは、グループ・シアターに参加する前はこの学校の生徒であり、付属のレパートリー劇団のメンバーであった。 リー・ストラスバーグは、1924年に入学した。そして、ストラスバーグとハロルド・クラーマンは、その演出部でも学んだ。 クラーマンは後に、グループ・シアターの歴史、『熱気あふれる歳月』の中で書いている。「(スタニスラフスキー・システムの)俳優に現れた最初の効果は、奇跡と呼べるものだった。そこには、舞台の上のつかまえにくい素材、真実の感情を解く鍵があった。 ストラスバーグは、グループの初期の公演の主任演出家であり、真実の感情という主題に熱狂していた。それ以外はすべて第二義的なものであった。彼は取り調べ人のような忍耐をもって真実の感情を求め、偽りの見せかけには怒った。そして、感情を刺激することに成功してからは、控えめに使い、育て、保護した。それは多くの俳優にとって、新しく、基本的で、神聖に近いものであった。真実の感情は演劇における神の啓示であり、ストラスバーグはその予言者であった。」 スタニスラフスキーとグループのもう一つの接点は、より直接的なものだった。 1934年春、ハロルド・クラーマンとステラ・アドラーは、パリで療養中のスタニスラフスキーと面会した。そして、五週間余りアドラーは彼のもとで学び、ストラスバーグが教えているシステムの中で、彼女や他のグループのメンバーには疑問に思える点を明確にしていった。 彼女の仕事の成果は、その夏グループに報告され、ストラスバーグが強調していた「効果のある記憶」の重要性を否定することになった。 「効果のある記憶」とは、俳優自身の過去の感情に満ちた事件をとりまく状況を思い出し、舞台で使う感情を刺激するための意識的試みだといえる。 しかし、スタニスラフスキーは現在では、真実の感情への鍵は、演劇そのものの中に含まれている「与えられた状況」つまり人間の問題を充分に理解することだと考えていた。 この強調点の変更は、大変重要であった。それは、ストラスバーグの劇団を掌握する力を弱め、1935年の辞任へと導いた。 この出来事では、マイズナーはステラ・アドラーの側に立った。アドラーはその後、演技の教師となり、マイズナーの親友となった。マイズナーが発展させたシステムの中では、「効果のある記憶」あるいは「感情を含んだ記憶」は、何の役割も果たしていない。 「どのようにして、スタニスラフスキーのシステムに出会いましたか」というインタビューに、マイズナーは素直に答えている。 「グループ・シアターで、創立時の指導者、ハロルド・クラーマンとリー・ストラスバーグを通して、そして、スタニスラフスキーのもとで学んだステラ・アドラーを通して。 私は、ステラの話に注意深く耳を傾け、多くのものを学んだ。俳優のミハイル・チェーホフは、自然主義の中の真実は本当の真実とはほど遠いものだということに気づかせてくれた。私は、彼の演技のおかげで、内面にあるものを失うことなく、すばらしい演劇の形式が存在できることが分かった。私はそれを手に入れたいと思った。 最後に、(イリア)・スダコフと(I)・ラポポルトとの明快で客観的なアプローチにも、多くを学んだ。」 この二人は、ロシアの演劇評論家で、マイズナーのシステムの基礎となる、行動のリアリティの重要性を強調している。彼らの本は、1930年代に英訳され、グループの中で回覧された。 「教えているときだけ、私は自由で楽しい」彼(マイズナー)はくり返しいっている。「私は技術の分析がたまらなく好きだ。自分たちがやっていることに、ある種の真剣さと深さを与える人たちと仕事をするのが好きだ。教えているときに、私は生き生きとし、役に立っているように感じる。教えているときに、私は感情が解放される。」 マイズナーは十年ほど前に、インタビューに答えている。 「私の練習方法は、グループ・シアターの中で心を打ち込んで学んだ指針となる原則を、強化するように作られている。その原則とは、芸術は人間の経験を表現するものだということだ。私は、この原則を決して放棄したことはないし、これからも放棄しない。だから、私は四十年たった今でも、俳優とともに学んでいく教師なのだ。そして、このやり方は実際とてもうまくいっているようだ。」 |
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「一つ質問があります。しかし、クラスとは関係がありません」ジョンがいった。 「あなたがグループ・シアターにいたとき、ステラ・アドラーがパリから帰ってきて、『ねえ、ここでリー・ストラスバーグとやっていることは、スタニスラフスキーが本当に意図していることとは全然違うのよ』といったことについて知りたいのです」ジョンがいった。「あなたや、他の俳優たちは、ステラがスタニスラフスキーと話す前に、自分たちがやっているプロセスは正しくないのではないかと疑っていましたか。」 「それは一般的ではなかった。彼らは疑いを持っていたかもしれない。しかし、それだけだ。特に、ステラは『与えられた状況』――どのように『与えられた状況』の核心にたどりつくか――ということを持ち帰ってきた。 いいか、ステラとストラスバーグは、われわれがグループを始める前から敵対していた。彼女は、われわれが始める前に、『彼は偽物よ』といっていた。」 「では、彼の生徒たちの演技の質についてどう説明されますか」レイがたずねた。 「俳優たちにいい演技を引き出す方法を、教えることはできます。しかし、その前にすべては才能です。そして、私たちには才能が何なのかわかりません。才能は、想像力と関係があります。しかし、それが何かわかりません。だれにも。 ストラスバーグがしたことは、もともと内向的な俳優たちをさらに内向的にさせ、舞台の上で隠されていた私的な経験を体験させることだったように思えます。 彼のクラスにいて、彼のテクニックを身につけた人が、すばらしい演技をしたとしたら、それはその訓練にかかわらずなされたことです。」 「そうだ。たとえば、だれだ?」 「パチーノ」 「アル・パチーノは、二十五年間も、そうやってきたんだ!」
「どういう意味だ?」 「もし私たちが演技できないとしたら、私たちは演技ができないということです。そうですね。」 「そうだ。」 「しかし、もしすばらしい演技ができたとしたら、美しい演技を自分の中から引き出すことのできる人々の一人ということになります。なぜなら、彼らはそのように作られているからです。そして、それからはどのような状況でもそれができるようになります。」 「そうだ。知っているか。ストラスバーグは才能のある人を見つけると、彼のスタジオに参加するように誘う。有名で才能のある人々だ。そして、後でいう。『彼は私の生徒だった』」 「デュヴァルの場合もそうだったのですか」ジョゼフがたずねた。 「デュヴァルは私のもとで学んだ。」
「自分自身に働きかけるためだ。演技を学ぶためではない!それは、全く違う。」 「『自分自身に働きかける』というのは、どういう意味ですか。」 「あそこは俳優たちがいる場所だ。それがアクターズ・スタジオのメリットだ。」 「先ほどたずねたことに戻りますが、彼女がパリから帰ってきて、あなたたち二人だけで打ち合わせををしたとき、彼女が『サンディ、これが本当のことなのよ』といったのですか。」 「クラーマン。ハロルド・クラーマンも一緒にいた。」 「そして、あなたたち三人で、私たちがいま学んでいるこのシステムを作り出したのですか。」 「多かれ少なかれ、そうだ。ステラは、私がやっているようには教えていないが。」 「全く違っています!」ローズマリーがいった。 「そのとき、くり返しの練習【※Part.2で解説しています】を発展させたのですか」ラルフがたずねた。 「いや、もっとずっと後でだ。私はクラスと一緒にそれを発明した。」 「どうして、それが進むべき道だと思ったのですか」ジョゼフがたずねた。 「本能からだ。」 「あなたは、パートナーが言葉を何回かくり返しているとき、本当のくり返しは何か新しいものを引き起こす――そして、それは有機的に変わることを知っていましたか。」 「そう。多かれ少なかれ知っていた。私はこの学校や個人レッスンで教えながら、内面的になることとは関係のない生命を作り出すことを発見した。また、感情準備について、私はストラスバーグに異議を申し立てた。」 「グループ・シアターの解散後くり返しの練習を発展させたのですか。」 「そうだ。しかし、現在のような形になったのは、1950年代の終りから60年代の始めにかけてだ。」 「グループの中でやっていたことの中に、何か似ているものがありましたか。」 「いや」 「そのときやっていたことは、ストラスバーグが教えていたメソッドに近いものでしたか。」 「多かれ少なかれそうだ。」 ラルフが手を上げた。「ハロルド・クラーマンは、演技について何かテクニックか理論を持っていましたか。」 「彼は一般的な、鋭敏な知識を持っていた。」 「彼はその前に、演出家でしたか。」 「そうだ。しかし、歴史家でもあった。彼の本はとてもいい本だ。」 「そうですね」ローズマリーがいった。「クラーマンは演出家でしたが、あなたは俳優でした。だからあなたは、それがどのような生命に導くか理解していました。聞くところによると、あなたはとてもいい俳優だったそうです。見たところ、ストラスバーグは、俳優としてあまり成功していません。それは本当ですか。」 「彼はひどい俳優だった。」 「おそらく、それが何かを意味していますね。」 「彼は図書館員だ。それ以外の何ものでもない。私はそれについては触れたくないが、未来の生徒たちに送るネイバーフッド・プレイハウスのカタログには卒業生のリストが載っている。意地悪い見方でよく見れば、彼がどれだけ多くの人々をスタジオに招き『あれは自分の生徒だ』といったかわかる。それは驚くほどだ。」 「リー・ストラスバーグとアクターズ・スタジオの人たちが使っている方法は、このクラスでやっていることとは反対のことのように思えます。彼らは私たちを内面に向かわせ、私たちはそこで動けなくなってしまいます」 「そうだ。私は、リーが生きていたときにそのことをいったことがある。『君はもうすでに内向的な人を、さらに内向的にしようとしている。すべての俳優は、すべての芸術家と同じように内向的だ。なぜなら、彼らは自分の内部に起こっていることを生活の糧にしているからだ。だから、それを意識させることは、俳優を混乱させる』いうまでもなく、彼は私のいうことに注意を払わなかった。だから、私のほうが彼よりよい教師なんだ。」 「まじめな話」マイズナーが続けた。「演技をしたい演技のクラスにいるというのは、どんな気持ちだ?」 「いい気持ちです」アンナがいった。 「君にはよかったか。」 「時にはいいものです」ジョンがいった。 「本当にいい?」 「どちらかというと、ステラ・アドラーみたいです」ローズマリーがつけ加えて、マイズナーは笑った。 「そうだ。ステラは、とても多くの話をした。私はステラがとても好きだ。本当にだ。彼女は私の親友だ。本当だ!私はとても多くのことを彼女から学んだ。彼女が、クラスの最後に、生徒たちの大集団を前にしていったことを知っているか。」 彼女はいった。「みんな私のこと愛してる?」 彼は頭の上に両手を上げた。そして、クラスが笑い、口々に大きな声でいった。「はい、はい」 |
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