イラストで読む メソッド演技 問題点と対処方法 |
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声の出し方と身体の動きを訓練したら、観客の前で演じる。いい俳優になるには、そうするしかない、という考え方をしています。これは、小さな子を池に放り込み、「溺れたくなかったら、泳げ」と言うようなものではないでしょうか?そんなことをしたら、、子どもは溺れます。また、舞台に出たからといって、全員が演技上手になれるわけでもありません。 器用にアドリブができる若いピアニストは、ナイトクラブやテレビで人気者になれるかもしれません。でも彼は、ベートーベンのピアノ協奏曲には手を出さない。自分の指では無理だと知っているからです。 発声訓練が足りない「ポップ」歌手も、同じです。バッハのカンタータを歌ったら、声帯が裂けるかもしれません。ダンスの初心者が、いきなり『ジゼル』を踊れば、アキレス腱を切るかもしれません。その人の技術に合った演目を選ぶことが大事です。そうしなければ、いずれ協奏曲やカンタータ、ジゼルをやろうかという日が来た時に、「これは、無理して身体を壊した演目だ」という記憶だけが思い出されてしまうでしょう。 ところが演劇では、技術の有無を考えることがありません。若い俳優が、いきなり『ハムレット』を演じてやろうと飛びつきます。ハムレットをやるだけの技術ができるまでは、自分を壊し、ハムレットを壊すことしかできません。 つまり、演劇だけが、俳優の技術を軽く見ている。なぜそんな風潮かというと、素人たちがこぞって皆、いっぱしの批評家きどりでいるからだ。そんなふうに思えます。 音楽の素人は、ヴァイオリン奏者の弓使いがどうだと語ったりはしません。美術の知識がない人は、パレットがどうだ、ブラシ使いのテクニックがどうだと評価をしません。力が入るとアントルシャ[体を垂直にして跳躍し、空中に跳び上がっている最中に両足を交差させるクラシックダンスの動き]がうまくいかないんだよね、などと語るバレエ素人もいない。 なのに俳優の演技には、誰もが茶々を入れたがる。親戚のおばさんも、芸能事務所のエージェントも、楽屋に来ては俳優にアドバイスをしたがります。「もっと泣いた方がよかったんじゃない?」「あなたは椿姫なんだから、口紅をもっと濃くすれば?」「はっと驚く時、もう少し大げさに演技したら?」。また悪いことに、俳優はそれらの声に、すなおに耳を傾けてしまう。そして、演技には技術や技能なんて関係ないんだと、ますます思い込んでしまうのです。 「泳げないなら、溺れろ」式の演劇界で、大成した天才たちもいます。ただし、彼らは天才。迷った時、行くべき道を本能的に見つけられる人たちです。私たちは、そんな素質に恵まれていないかもしれない。かといって、「やるだけやって、ダメだったら仕方ない」的な古い考えでは、成長もできません。演技力を伸ばすことは、きっとできるはずなのです。
年月がたち、ローレットの伝記が出版されました。彼女の娘、マルグリット・コートニーが記したものです。私はわくわくしながら、ページをめくりました。19世紀末、ローレットはすでに、役づくりに必要な項目を分類していたそうです。当時の私にも、すでに「役づくりの方法は、こうではないか?」と信じるものがありました。なんと彼女の分類法は、私の方法と非常に似ていたのです。 ローレット・テイラーは、人物の背景を構築することから役づくりを始めます。背景ができたら、人物と自分自身を重ね合わせます。「こういう過去をもった人物が、こういう状況のなかで、こんな人々や物に囲まれたら、きっとこうする」。そう確信できるまで、役と自分を重ね合わせます。彼女自身の言葉を借りると、「その人物のパンツを履いた」と実感できるまで、役づくりは終わらない! リハーサルでのローレットは、シーンが起こる場所を細部まで確認し、鷹のように鋭い目で共演者たちを見ます。「この人と私の関係は?私は他に、どんな行動ができるかしら?」と、あらゆる可能性を考えつくします。セリフの丸暗記は、絶対にしません。人物が生きる世界を知りつくすまでは、セリフが言えない、というのです。 彼女は、すばやく結果を出そうとは決してしませんでした。現場の習慣に反発し、「ただマネをすればいい」という演技法を拒否しました。「私には、演技テクニックもメソッドもありません」とローレットは言っていますが、実は、独自の方法と演技術をもっていたのです。
「メソッド」演技を否定したといわれる夫妻ですが、二人の役づくりは「メソッド」を信奉する俳優たちを超越しています。チェーホフ作『かもめ』で共演させて頂いた私は、夫妻のすばらしい技術を目の当たりにしました。 最終幕で、ニーナがコンスタンチンを訪ねてきます。二人が舞台でやりとりをする間、他の人物たちは舞台裏、つまり隣の部屋で夕食をとっている、という設定です。稽古中、ラント夫妻は、ずっと夕食シーンを練習していました。アドリブで会話をし、どんな食べ物を食べ、どう行動するかを模索し続けていました。 本番で夫妻は、舞台裏に退場してからも、食事をしながらしゃべる演技を続けました。彼らが再び舞台に登場する時は、まさに「食べ終わってから戻ってきた」ように見えました。 舞台裏での夫妻の行動は、客席からは見えません。しかし、音は聞こえます。陶器やガラス、銀食器がカチャン、チリンと鳴り、かすかに話し声も漏れてくる。それが舞台上の悲劇との、すばらしいコントラストを生みました。また、舞台裏にいる間も役として生き続けることで、時間の経過をきちんと次の登場に生かすことができます。 ポール・ムニ(1895〜1967年)も、役づくりに「メソッド」はない、と言った俳優です。とはいえ、彼も独自の方法で役づくりをしていたことは確か。人物が住んでいた土地や故郷にしばらく住んでみたりしています。「もし僕だったら」と主観的なリサーチをし、探求した。その執念は、周囲が目をそらしたくなるほど、痛々しいこともあったそうです。 「メソッド」とは、スタニスラフスキー(1863〜1938年。ロシアの俳優、演出家)がつくった演技理論だと、思い込んでいる人もいるかもしれませんね。(実は違うんです!)彼は名優たちを観察し、どうやって演技をしているのか尋ねて歩いた。そうした発見をまとめながら、自説を築いていったのです。
アルバート・バッサーマン氏(1867〜1952年ドイツの俳優)と、イプセン作『棟梁ソルネス』を練習していた時のこと。私はヒルダを演じていました。氏は当時80歳を越していましたが、ソルネス役の解釈や演技テクニックは、けして古くさくなく、近代的。ご自身がレパートリーとして40年近く演じてこられたこの役に、私たち新キャストが加わってリハーサルすることになったのです。 まず、氏は私たちの演技の感触をつかもうとされました。私たちを見ながら、耳を傾ける。それから私たちに合わせて、ご自身の演技を調整されました。本番のエネルギーはまだ出さず、軽くアクションをされていました。 衣裳を着けてのリハーサルが始まると、バッサーマン氏は100パーセントの力を出して演技を始めました。セリフのリズムや身のこなしは真実味にあふれています。私は圧倒されました。 氏はセリフを言い終えても、まだ何か言いたそう。私は待ちました。いつ、私がセリフを言う「番」がくるのかな、と思いながら。すると会話のなかで、ポカンと間が空いてしまうのです。「次は、間を空けないようにしよう」と頑張ったら、今度は彼のセリフをさえぎってしまいました。 「あなたが言い終わったら、次は私」と、互いにセリフをやりとりすることが演劇だと思っていた私は、第一幕が終わった後、彼の楽屋に行って、こう言いました。「バッサーマンさん、本当に申し訳ありません。でも私、あなたがいつ演技を終えられるのか、わからないんです!タイミングがつかめないんです」。彼は、びっくりした目で私を見つめ、こう言いました。「終りのタイミングなんか、ありませんよ!そして、あなたの演技も終わっちゃいけません」。 名優たちとの共演や観劇だけでなく、両親との生活からも、私は多くを学びました。わが家では、何かをつくりたい、表現したいという欲求が尊ばれました。行動が伴ってこそ、才能は開花するのだ。練習や制作活動に集中することに喜びがあるんだよ、と教えられました。両親は、身をもってその教えを示してくれた。また、芸術への愛は、世間的な成功とは関係がないんだよ、とも教えてくれました。 エヴァ・ル・ガリエンヌ(1899〜1991年。女優、プロデューサー、演出家)にも感謝をしています。彼女が私の才能を信じてくれたおかげで、初めてプロの公演に出演することができました。エヴァは演劇に深い敬意を抱いていました。彼女にならって私もまた、演劇は国家のスピリチュアルな部分に貢献するものだ、という信念をもつことができました。 ラント夫妻にも感謝しています。俳優は、惜しみなく修練に励まねばならない。そのことを、骨の髄まで染みるほど教えて頂きました。
本来「アマチュア」とは、愛好者を指す言葉です。好きなことを追及する人、という意味ですが、今ではうわべだけの知識しかない素人や、技術のないパフォーマー、趣味や暇つぶしに何かをする人と同義語になっています。私はとても若くして、演劇の舞台に出演しました。当時の私は、本来の意味でのアマチュアでした。演じるのが、ただ好きだった。出演料は、そのおまけ。好きなことにただ打ち込んでいたら、認めてもらえたということかもしれません。 しかし、私に技術がないことは、明白な事実でした。「何がなんでも、空想したことを信じるんだ」という気持ちだけに頼って演技をしていました。私は役の人物なんだ、と信じきり、劇のなかの出来事は本当に起こっていることなんだ、と信じて演じていました。 そんな私がプロになり、いろんな知識が身につき始めると、「演技が好きだ」という気持ちは薄れていきました。その代わり、いわゆる「プロ」の演技術を自分なりに取り入れ、「プロ」を気どるようになりました。 私は見せることだけを意識した「トリック(ちょっとした技)」を使い、得意にすら感じていました。たとえば、『かもめ』でニーナが退場する時の終幕の演技。ドアへ向かう時に、キッと勇ましく上を向くと、観客から拍手喝采がもらえるのです。役を生きることに集中し、観客をいっさい意識せずに演じることが、本当はよいのだとわかっていたのに。なぜニーナはコスチャとさよならするのか、それだけを考えながら退場すれば、観客はシンと静まり、涙をこぼします。なのに、私はウケるための小技を使って演じるようになったのです。 その他、「きれいに」登場する方法や、笑いや涙を流す方法。叙情的な「クオリティ」を出す方法。プロになってから、私が得た小技は枚挙にいとまがありません。どれもみな、表面に見える効果を計算ずくで演じる方法でした。 もう勉強なんてしなくていいんだ。他の役も、こうやって演じればいいんだもの。それがプロというものよ――そう私は考えるようになりました。 すると、演じても楽しくないのです。 劇場に通う目的は、お給料を稼ぎ、レビューを書いてもらうためだけ。ごっこ遊びのように空想の世界を信じる喜びは、とっくに失くしていました。役に嘘が混じるようになり、「役が生きる」世界のリアリティは色褪せていきました。 1947年、私はハロルド・クラーマン氏が演出する舞台に出ることになりました。プロの演劇とはどういうものか、開眼させられたのはこの時です。 彼は「小技」を使わせてくれませんでした。台本読みもしないし、ジェスチャーや立ち位置の指示もないのです。私はひどく面食らいました。長年、人物の仮面を被って演じてきたからです。外からどう見えるかを意識した演出に慣れきっていた私。それまでの私は、演技中ずっと、仮面の裏に隠れていたのです。
クラーマン氏に、この仮面は通用しませんでした。役のなかに「私」がいなくてはならない、と彼は言うのです。風変わりで、新しい役づくりのテクニック。やっていくうち、私のなかでゆっくりと、「演じることが好き」という気持ちがよみがえってきました。 前もって型をつくってはいけないし、型から入ろうとしてもいけない。色々やっていくうちに、結果として形がまとまってくるだろうからだいじょうぶ、と言われました。 公演が始まると、私はまた驚きました。客席がとても近く、親密に感じられるのです。それまでの私は、観客との間に壁があるように感じていました。その壁を取り払って頂けて、ハロルド・クラーマン氏には大変感謝しています。 この体験で気づいたことをさらに深めるため、ハーバート・バーゴフ氏【HBスタジオ演劇学校 創設者】のところで勉強を続けることにしました。気づいたことを、今後どのようにつかっていくか。真の演技術を身につけ、私自身をとおした役づくりをするためにはどうしたらいいか。ハーバートは細やかな助言をくれました。 成長したい。「リアリティのある演技」という奇跡を、実現させたい。その思いをぶつけられる場所を、幸運にも私は見つけることができました。HBスタジオの創設者、ハーバート・バーゴフ。彼と私は結婚し、共に教師をしています。学生たちや俳優仲間と演技をし、演出もします。商業演劇では予算が出なかったり、また力を注がれることのない舞台劇の作品や場面を抜粋したものを練習しています。 私は自分自身が行ってきたことと、HBスタジオで行っていることに信念をもっています。スタジオに集う皆さんが、忍耐と希望をもって一流のカンパニーを結成して下されば、と願っています。一流の演出家、そして願わくば一流の劇作家と手を携えて、すばらしい劇団をつくって欲しい。目標を共にし、互いに成長し合う仲間。共通の言葉で通じ合い、ひとつの表現に向けて力を結集できる同志。そんなグループが劇場づくりを目指してがんばれば、アメリカの演劇界に真の貢献ができるかもしれません。実現するよう、祈っています。もし、実現できなかったら?目指し続けていきましょう。演劇には、それだけの価値があるのですから!
1800年代後半から1900年代前半に活躍した、二人の俳優がいます。サラ・ベルナール(1844〜1923年。フランスの女優)とエレオノーラ・ドゥーゼ(1858〜1924年。イタリアの女優)。 ニューヨーク近代美術館で『Great Actresses(偉大なる女優たち)』という映画シリーズの上映があったら、見て下さい。彼女たちの演技が収録されています。 サラ・ベルナールの演技は表面的で、きらびやか。当時主流の、形式的な演技です。一方、ドゥーゼの演技はとてもリアル。お芝居ではなく、人間そのものを見ているような気になります。 皆さんがベルナールの演技を見たら、おおげさ過ぎて笑うでしょう。しかし、ドゥーゼは今も私たちの心を揺さぶります。たいへん昔の女優なのに、びっくりするほど斬新な演技に見えます。同じ時代に名女優と称えられた二人の演技術は、アプローチがまったく違うのです。 こうした二つのアプローチに対し、演劇界は何世紀にもわたって議論を続けてきました。ですから、皆さんにも考えて頂きたいのです。話を進めるために、それぞれのアプローチに仮の名前をつけましょう。なんと呼ぼうかいつも悩むのですが、とりあえず。「ああ、そういうことか」とわかって頂ければ、名前は忘れて頂いてもかまいません。ベルナールは「描写の演技」、ドゥーゼは「役を生きる演技」と呼ぶことにします。
「描写の演技」をする俳優は、「客観的に見れば、こう動くのがよいだろう」と考えながら演じます。注意深く、自分の演技をチェックしながら演じています。「役を生きる」俳優は、そのように客観的なチェックはしません。自分の役づくりを信じて、今という瞬間を生き、行動します。 ベルナールとドゥーゼは、ともに同じ役を演じたことがあります。
まったく同じところを、ドゥーゼは静かに「本当よ」と二回だけ言いました。三回目の「本当よ」を言う代わりに、息子の頭に手を置き、夫の目をじっと見たのです。ドゥーゼの観客は、すすり泣くように嗚咽をもらしました。 今という瞬間を生きることを、よしとしない俳優もいます。19世紀に活躍した、フランスのコンスタン・コクラン(1841〜1909年)がそうです。 ある時、彼は観客から大喝采を浴びたのですが、その夜、共演者たちに謝罪したそうです。「今夜は、舞台で本当に泣いてしまった。申し訳ない。このような失態は二度としない」。 コクランのアプローチは、まさに「描写の演技」といえます。本番中に真実の涙を流してしまったら、演技がブレてしまう。きちんと表現するべき流れやメリハリがぼやけてしまう、と彼は考えていたのです。 純粋な心の動きを犠牲にしてまで、人物描写が大切でしょうか?そうして生まれた演技がいかに傑作だったとしても、観客の心には届かないんじゃないか、と私は思います。「こういうふうに見せよう」とつくった演技には、「ブラボー!」とスタンディング・オベーションが沸くかもしれない。しかし、観客はアクロバットやサーカスを楽しむように、見た目の技術に拍手を送っているのではないでしょうか。このような演技に、観客が真実の人間の姿を見出し、心のひだに染みいるような共感や感動を覚えることは少ないと思います。 「描写」アプローチは形式的で、表面的。時代の流行に従う傾向が非常に強いです。一方、「役を生きる」アプローチは時代に合わせた表現形式をとることよりも、人間として真実をとらえることを選びます。ドゥーゼの演技が時を超えて私たちの胸を打つのも、彼女が普遍的な真実を見出していたからかもしれません。 私がどちらのアプローチに沿おうとしているか、おわかり頂けたことでしょう。ドゥーゼの側に立ちたいのです。彼女はかつて、「どの役をやっても同じに見える」と批判され、こう答えました。「私にできるのは、ただ魂をひらいて見せること。それ以上、いったい何が必要というのでしょう」。 「ドゥーゼのように、役を生きたい」といっても、私は「描写」アプローチを全面的に否定しているのではありません。「描写」の演技がすばらしい俳優もいるのです。ただ私個人が俳優、演技教師として活動するなかでは、「役を生きる」アプローチを採用している、というだけです。「このアプローチなら納得できる」というものを、俳優としても教師としても、追及するべきだと思っています。
![]() ![]() ![]() ![]() 要するにヘーゲルが主張する弁証法じゃな。
ステーキ、鶏肉、ロブスター、ラム肉は、どれもおいしい。でも、どれが「最高」?人によって、好みが違います。ハイドン、モーツァルト、ベートーベンでは、誰が最高?やっぱり人によって評価、好みが違い、「一番」なんて決められないでしょう。彼らはそれぞれ、自分でベストを尽くしたのです。「世界で一番」を目指したわけではありません。 自分以外のものに評価の基準を求めると、答えの出ない問いから抜け出せなくなります。「いったい誰に支持されればいいのかしら?ガソリンスタンドの店員さん、それともブルックス・アトキンソン?(アメリカの演劇評論家)」。私に、そうもらした有名女優がいました。店員さんも批評家も、自分が見たいと思うものを支持するだけにすぎません。それが、彼女にはわからなかったのです。 私は彼女に、『かもめ』に出演した時の体験を話しました。私の演技は絶賛を浴び、私はすなおに喜んでいました。同じ公演のマチネには、別の若手女優が出演しています。ある日、その舞台を見た私は「えっ?」と思いました。彼女の演技は、私が思うに、ヘタでした。なのに、その女優は私と同じように、大絶賛されていたのです。 人々の評価基準に納得がいかないなら、どうすればいいのでしょう?真の評価を与えてくれる人が、自分の他にいるとしたら誰?よほど信頼できる仲間以外は、誰もいません。 そこで私は、「自分にとっての基準」をつくるようになりました。ガソリンスタンドの店員さんにウケようともしない。ブルックス・アトキンソンに褒められようともしない。自分でつくったゴールを目指し、評価も自分自身で行う。また、他人の意見を聞くにしても、心から尊敬する仲間だけにしました。 自分でゴール設定をするなら、勉強や練習の習慣も自分でつくらなくてはなりません。俳優の仕事は不規則ですから、どうしても自分に甘くなってしまいがち。「いつか、リア王を演じるんだ」と夢見ながら、レストランやオフィスでアルバイトをする人はたくさんいるでしょう。生活の大変さを言い訳にせず、やるべきことをしっかりとやってください。 才能のある俳優でも天分を磨かなければ、努力家に追い越されてしまいます。実力よりも上を目指して、難しい課題にチャレンジし続けることが大事です。 うぬぼれや虚栄心は、病気と同じです。アルコール依存やガンと同じように、あなたを傷つけます。本来その人がもっている才能や能力、繊細さが出せなくなってしまうのです。俳優は「今、この瞬間」に対して反射的に行動し、相手役と純粋にやりとりができなくてはなりません。自分をかっこよく見せようとしたり、自己愛におぼれてしまったら、真の演技などできるはずがありません。病気の予防と同じように、こうした悪い傾向からも身を守ってください。 どんな時も、私はスタニスラフスキー氏の言葉を忘れません。「あなたにとっての芸術を愛しなさい。『芸術をしている自分』を愛してはだめだ」。 私は可能性を信じます。真の意味で社会に貢献することが、きっとできるはずです。 |
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