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Ζ ガンダム
アインシュタインの生涯
「機動戦士ガンダム」⇒「Ζガンダム」と、「アインシュタインの生涯 」(ブレヒト遺稿)は、とてもよく似ているんですね。
「アインシュタインの生涯」とは
天才物理学者アインシュタインの物語です。
ざっくり説明しますと、アインシュタインは、ファシスト(独裁者)に勝利するため、偉大な公式【E = mc2 イー・イコール・エム・シーじじょう】を、2つの勢力の一方に引き渡します。
味方の勢力は勝利し、敵を打ち負かします。が、
そのとき味方だった勢力が、恐ろしい姿を現すのです。
ファシズムの敵だったものたちが、ファシストになっていたのです。
「機動戦士ガンダム」⇒「Ζガンダム」
「機動戦士ガンダム」とは
ファシストであるジオン軍と戦って、地球連邦軍が勝利するお話です。
「Ζガンダム」とは
ところが、あるとき気がついてみると、地球連邦軍はいつの間にか、ファシスト(独裁者)に変貌していたという物語です。
独裁者に勝ったものが、新たな独裁者に・・・それが「Ζガンダム」と「アインシュタインの生涯」の共通点です。
  • 原爆開発の責任者、オッペンハイマーは広島、長崎をめぐる良心の呵責に苦しみましたが、水爆の父と呼ばれる米国の理論物理学者エドワード・テラーは、ソ連との東西冷戦のなか、歴代大統領の助言者となり、核兵器配備の拡張を推奨し、スターウォーズ計画として知られる戦略防衛構想SDI計画の発案者になったのです。
  • つまりアメリカは、「原水爆をたくさん作ろう」をいう国家になってしまったんですね。
実は、「アインシュタインの生涯」は、構想途中でブレヒト逝去のため完成しませんでした。
ですから富野氏は、現実の歴史を調べてガンダムを制作されたのでしょうね。
ガンダムシリーズに登場するハマーン・カーンというキャラクターは、【限定核戦争】を肯定した実在の人物ハーマン・カーン(アメリカの軍事理論家)に由来しているのはよく知られています。
富野氏は「事実に基づいて」ガンダムの世界を構築した。だからこそガンダムは時代を超えて「リアル」なんですね。
そしてそのような状況下でも、たくましく成長している子供たちの姿を描いたのが「機動戦士ガンダムZZ」です。
「ガンダムシリーズ」素晴らしいと思います。
アニメじゃない♪アニメじゃない♪ホントのことさ(機動戦士ガンダムZZ 主題歌) なるほど、そういう意味でしたか。
逆転の手法
ひっくり返し
星新一 ジョージ・オーウェル
筒井康隆 ブレヒト
「あ、これっていいかも」と思わせといて、ひっくり返す。

この「ひっくり返し」の手法は、日本SF界の巨匠(神様)、星新一さんのお家芸といってもいいでしょう。
代表作のひとつ「おーい でてこーい」は何度もドラマ化されていますので、ご存知の方も多いでしょうね。
台風が去ったあとから、「おーい でてこーい」のお話は始まります。
都会からあまりはなれていないある村で、被害があった。村はずれの山に近いところにある小さな社が、がけくずれで流されたのだ。

「おい、この穴は、いったいなんだい」
みんなが集まってきたところには、直径1メートルぐらいの穴があった。
のぞき込んでみたが、なかは暗くてなにも見えない。なにか、地球の中心までつき抜けているように深い感じがした。
「キツネの穴かな」
そんなことを言った者もあった。

「おーい、でてこーい」
若者は穴にむかって叫んでみたが、底からはなんの反響もなかった。彼はつぎに、そばの石ころを拾って投げこもうとした。
「ばちが当るかもしれないから、やめとけよ」
と老人がとめたが、彼は勢いよく石を投げこんだ。だが、底からはやはり反響がなかった。
「どうしたもんだろう」
相談がきまらないまま、一日たった。

「埋めてしまいなさい」
わからないことは、なくしてしまうのが無難だった。
その時、人垣をかきわけて前に出た利権屋の一人が、申し出た。
「その穴を、わたしにください。埋めてあげます」
村長はそれに答えた。
「埋めていただくのはありがたいが、穴をあげるわけにはいかない。そこに、社を建てなくてはならないんだから」
「社なら、あとでわたしがもっと立派なのを、建ててあげます。集会場つきにしましょうか」

その利権屋の約束は、でたらめではなかった。小さいけれど集会場つきの社を、もっと村の近くに建ててくれた。
新しい社で秋祭りの行われたころ、利権屋の設立した穴埋め会社も、穴のそばの小屋で小さな看板をかかげた。

利権屋は、仲間を都会で猛運動させた。すばらしく深い穴がありますよ。学者たちも、少なくとも五千メートルはあると言っています。原子炉のカスなんか捨てるのに、絶好でしょう。

官庁は、許可を与えた。原子力発電会社は、争って契約した。村人たちはちょっと心配したが、数千年は絶対に地上に害は出ないと説明され、また、利益の配分をもらうことで、なっとくした。
トラックは道路を走り、鉛の箱を運んできた。穴の上でふたはあけられ、原子炉のカスは穴のなかに落ちていった。

外務省や防衛庁から、不要になった機密書類箱を捨てにきた。監督についてきた役人たちは、ゴルフのことを話しあっていた。作業員たちは、指示に従って書類を投げ込みながら、パチンコの話をしていた。

穴は、いっぱいになるけはいを示さなかった。よっぽど深いのか、それとも、底の方でひろがっているのかもしれないと思われた。
大学で伝染病の実験に使われた動物の死体も運ばれてきたし、引き取り手のない浮浪者の死体もくわわった。海に捨てるよりいいと、都会の汚物を長いパイプで穴まで導く計画も立った。

穴は都会の住民たちに、安心感を与えた。つぎつぎと生産することばかりに熱心で、あとしまつに頭を使うのは、だれもがいやがっていたのだ。この問題も、穴によって、少しずつ解決していくだろうと思われた。

穴は、捨てたいものは、なんでも引き受けてくれた。穴は、都会の汚れを洗い流してくれ、海や空が以前にくらべて、いくらか澄んできたように見えた。
そしてラストは・・・。
ある日、建設中のビルの高い鉄骨の上でひと仕事を終えた作業員が、ひと休みしていた。彼は頭の上で、
「おーい、でてこーい」
と叫ぶ声を聞いた。しかし、見上げた空には、なにもなかった。青空がひろがっているだけだった。彼は、気のせいかな、と思った。そして、もとの姿勢にもどった時、声のした方角から、小さな石ころが彼をかすめて落ちていった。
しかし彼は、ますます美しくなってゆく都会のスカイラインをぼんやり眺めていたので、それには気がつかなかった。
動物農場 ジョージ・オーウェル
「これでよくなる!」と思ったら、前と同じか、さらにひどくなった・・・。
動物農場は、こんなお話です。
ボクサー(馬)さん、あなたのそのたくましい筋肉の力がなくなったら、その日に人間は、あなたを屠殺屋に売りとばすでしょう。その屠殺屋は、あなたの のどをかき切り、煮詰めて、犬のエサにしてしまうのです。
人間たちにいいようにされていた農場の動物たちが、ついに反乱を起こします。
反乱は成功し、人間を追放し、豚が動物たちの新しい指導者になります。
ボクサー(馬)は、新しい指導者(豚)に心酔します。「わしがもっと働けばいいのだ」「ナポレオン(指導者の豚の名前)はいつも正しい」
他人の何倍も働き、ついに働けなくなった馬ボクサーはどうなったかというと、やはり屠殺業者に売り払われ、新しい指導者(豚)たちがウィスキーを購入する代金となってしまい、指導者たちはそのウィスキーを飲んで浮かれてドンチャン騒ぎをするのです。
動物農場は、このような感じで終わります。
変化したのは、何だったのだろうか?
動物たちは、人間から豚へ目を移し、もう一度、豚から人間へ目を移した。しかし、もう、どちらがどちらか、さっぱり見分けがつかなくなっていたのだった。
指導者が変わっても・・・というストーリーは、「アインシュタインの生涯」とつながる部分がありますね。
筒井康隆先生の小説「火星のツァラトゥストラ」に、こんなくだりがあります。
わたしは、自分が賢いと思っている人に、自分がどれだけ馬鹿かを思い知らせてやろうと思うんです。
馬鹿は馬鹿なりに、すなおに人のいうことを聞いていりゃいいんだ ということを教えて、喜ばしてやりたいんです。
貧乏人にもそう教え、わたしの知恵をやって喜ばしてやりたいもんです。
「動物農場」を、指導者(豚)の視点でざっくり説明すると、そういうお話になるんですね。そうならないためには、どうしたらいいんでしょうね。
筒井康隆先生の特徴は、“逆説の文学”です。もちろん筒井氏の本心も、世の中のいろんな部分にメスを入れて、「いい世の中にしたいよね、みんなで考えよう」ということにあります。
そういう意味では、ブレヒトやジョージ・オーウェルと相通じるものがありますね。
コーディーリアの真意がわからずに、耳に心地いい甘言を並べたゴネリルを信じた「リア王」の二の舞は避けたいものです。
ブレヒト作「まる頭ととんがり頭」の劇中歌[水車のバラーデ]は「動物農場」とよく似ています。ご紹介します。
ああ、我々は多くの君主を戴いてきた
虎やハイエナのような君主もいたし
鷲や豚のようなのもいた。
しかしましな君主でもひどい君主でも
連中を養うのはいつも我々だった。
彼らの穿く靴はどれも同じで
それで我々を踏みつけた。
私の言うことが分かってくれるだろう
我々に必要なのは別の君主ではなく、
君主を持たなくなることだ。
もちろん水車は回り続ける
上にいるものは永久に上にはいない
しかし下の水からみるとそれはただ
永久に水車を回す役を勤めているだけのこと。

アインシュタインの生涯
それでは最後に、ブレヒト最後の戯曲遺稿断片、「アインシュタインの生涯」の全文を紹介して、お別れいたします。
「アインシュタインの生涯」
<A1>
そのとき彼の心臓の血管が破裂する(最期。[アインシュタインは大動脈瘤破裂で1955年4月18日逝去])。

ヒロシマの報せ[1945年8月6日の原爆投下、26万人が即死]がプリンストン[アインシュタインはここの高等研究所で1934年から1955年の逝去まで働いていた]に届く。住民は恐怖のまなざしで平和の先覚者[アインシュタインは自分が平和主義者であるという声明を繰り返し公にし、国際的な平和組織でも活動していた]である偉大なアインシュタインを見る。

アインシュタインは、彼の最良の弟子たちが、何故の問いから、いかに、への問いに向きを変えるのを見る(量子論)。

ファシズムに対する勝利者がファシストであることが明らかになる。アインシュタインの弟子たちは研究に隷属させられる。ファシズムへの彼らの忠実度が試されるのだ[ここではJ・R・オッペンハイマーが想定されているようだ。彼は1943年〜45年にアメリカの原爆開発のマンハッタン計画を主導したが、原爆投下後に疑念を感じ、戦後には水爆実験に異を唱えて、54年6月に公職追放された。ブレヒトは『ガリレイの生涯』のベルリン版を作る際に、この事件も熱心に調べて取り組んでいたという]。

ある労働者がアインシュタインと論議する(MASCH=マルクス主義労働者学校)。因果律の問題。

<A2>
以下のことを統合させること。
アインシュタインのMASCHでの因果律についての講演。予言し計画することが可能という合法則性が最後に明らかにされたとき、さらにその先を聞きたいという労働者の抗議。

アインシュタインのド・ブロイ[1892〜1987、フランスの物理学者。ルイ・ヴィクトル・ピエール=レイモン・ド・ブロイ。1929年に電子波の理論でノーベル物理学賞受賞。アインシュタインは量子論のこういう展開に批判的に対峙した]への闘いと統計的な因果律。
「神はさいころ賭博師ではない!」[アインシュタインのお気に入りの言葉だったという]

彼らの理論は反乱であるが、その反乱には十分な因果律が必要だった。

<A3>
デッサウのオペラのために。
Xは、ナチスが彼の書物を焚書(ふんしょ)にする様子を眺めている。彼は、ナチスが恐れるべきは彼の書物ではなく、彼自身であることを知っている。偉大な公式は、撤収不可能なのだ。
これが発端。最後に彼は、彼の勝利が敗北に変わってしまったのを知る。彼とても、あの偉大な公式はそれが致命的[な結果をもたらすもの]であることが判明しても、撤収することはもはや不可能なのだ。

二つの勢力が戦っている。そして(彼にも定義できず、ぼんやり判然とはしないのだが)その二つの勢力の外部と内部に第三の勢力(コミュニズム)が存在している。

Xは、二つの勢力の一方に、偉大な公式[E = mc2]を引き渡す。彼を保護してくれるからだが、彼はその二つの勢力の顔が似ていることを見落としている。

味方の勢力が勝利をおさめ、敵の勢力を打ち負かす。そのとき恐ろしいことが起こる。味方の勢力が敵の勢力に変わり、これまで庇護してきた者たちにも、恐ろしい姿を現す。しかもその勢力は彼を味方とみなして、同志としてもてなすのだ。

<B1>
自然認識の進歩は、
社会認識の停滞のときは、
致命的となる。

<B2>
Eはファシズムの敵に致命的な武器を手渡す。
そしてファシズムの敵はファシストになる。

<B3>
私は戦争に反対だと、かつて私が言うのを聞いたというのは、愚かなこと、なぜならそれは愚かな命題だから。
つまり私の命題の半分でしかない。
私が言いたかったのは、
戦争は私にも他の人にもたくさんの不当なことをもたらすから、私は戦争に反対なのだということ。
その結論としてこう言ってもいいだろう、平和が私にも他の人にも、戦争よりもっと多くの不当なことをもたらすにしても、
私は平和に賛成なのだ、と。
今回ご紹介したのは ディストピア【ユートピア(理想郷)とは正反対の社会】を描いた文学作品たちです。
いい世の中にしたいよね、こうならないためには どうしたらいいのかな、と一人ひとりが考えていくことが大切なんでしょうね。
おまけ
「火星のツァラトゥストラ」冒頭部分のあらすじだけ紹介させていただきます。少なくとも私は大笑いしちゃいました。
『ニーチェ・ブーム』は、火星植民地では『ツァラトゥストラ・ブーム』だった。つまり、一般大衆に知れ渡ったのは『ツァラトゥストラ』だけで、作者の名ではなかった。というのは、その頃すでにニーチェという名は、とっくの昔に消えていたからだ。

だが今、2250年―火星。
『ツァラトゥストラ』だけが復活した。

「この自伝は、きっと人気が出るだ」教授はそうつぶやいた。彼はこの書物を、ツァラトゥストラという人物が、自分で書いた伝記だと結論したのだ。

「おら、これを翻訳して、今学期の教科書にしてやるだ。学生全部に買わせるだよ。そしたら、おら儲かるだ」教授はほくそ笑んだ。
「この頃の学生は、たいていエゴイストばかりで、どいつもこいつも皆うぬぼれ屋ばかりだから、この本はきっと、学生の間で評判になるに違えねえ。若えもんちうのは、自分の悪いところを自己弁護する材料を与えてくれるような本には、かならずとびつくだよ。やさしい言葉に書き直して学生に読ませてやればええ。これを書いた男は唯我独尊権力意志の持ち主だと自分でもいっているだから、たちまち若えもんのヒーローになるに決まってるだ」

彼は翻訳にとりかかった。時には俗語を入れ、適当にジョークを混えて訳した。また、ツァラトゥストラをより身近かに感じさせるため、文体を一人称にした。

こうして教授は、一種の興奮状態でもって『ツァラトゥストラ』第一部を、わずか10日間で、一気に翻訳した。
翻訳は、こんな調子だった。

ツァラトゥストラのお話  その1
ツァラトゥストラ
カン・トミヅカ訳
プロローグ
みなさん、こんにちわ。
わたしはツァラトゥストラです。
これからわたしの、面白いお話を聞いてください。
わたしは、三十歳になったとき、わたしの居住区域にある飲料用水の水源地の仕事をクビになり、生まれた家も追い出され、しかたなく山へ行って、そこで生活をはじめました。勝手気ままに、ひとりでオナニズっていたんです。十年間ずっと。
倦きただろうって?
いいえ、そんなことはありませんでした。
でも、やっぱり十年めともなると、気がかわりましたね。
ある朝、めずらしく早起きして外へ出ますと、ちょうど太陽が昇りかけていました。地球では、太陽はまっ赤な色で東から出ます。
で、わたしは太陽にこういいました。
「おてんとさん、おてんとさん。あんたはそうやって毎朝出てくるけど、あんたの光に照らされて喜ぶものがいなければ、あんたは今ほど、しあわせじゃあないでしょう?ね、そうでしょう?
十年前からずっと、あんたはこの、わたしの住んでいる簡易ドームの上に出てきましたね。でも、そこにもしわたしと、それからわたしのペットの突然変異カナリヤと人工ゼニガメがいなかったら、あんたはやっぱり、ここを照らしたり、出たりひっこんだりするのが阿呆らしくなったでしょうよ。いや、そうにきまってます。
だけどわたしたちは、朝になればちゃんとあんたを、待っていてあげたんですよ。あんたの光にあたってあげたんですよ。そして、わたしたちみたいな、いい知り合いを持って、とてもあんたは幸福だろうなあと、思ってあげたんですよ。
だけどねえ、おてんとさん。考えてみると、わたしもあんたと同じようなもんです。わたしはすごく賢くて、そりゃもう、データをつめこみすぎた電子頭脳みたいな天才なのに、だれも、このわたしのことを知らないんです。これは、いけないことですよね。きっと、わたしの知恵をほしがっている人が、たくさんいると思います。だから、あんたと同じように、わたしも、そういう人たちを求めなければ、ならないはずです。
だからわたしは、自分が賢いと思っている人に、自分がどれだけ馬鹿かを思い知らせてやろうと思うんです。馬鹿は馬鹿なりに、すなおに人のいうことを聞いていりゃいいんだということを教えて、喜ばしてやりたいんです。貧乏人にもそう教え、わたしの知恵をやって喜ばしてやりたいもんです。
だからわたしは、もいちど、あの人口過剰の居住区へおりて行こうと思うのです。・・・・・

教授の思惑は、はずれなかった。
この、読者に直接語りかけるような文体は、軽文化化の進んだ火星の一般市民に喜ばれた。
『誰にもわかる哲学』という宣伝が行きとどいたため、学生はもちろん、若いものの流行に乗り遅れまいとする軽文化人や一般大衆は、さきを争って買い求めた。
彼らにとって、職場や家庭で話し合うことのできる『哲学』があるということは、実に愉快な、嬉しいことだった。
お分かりのように筒井康隆先生は「自伝だと勘違いし、金もうけのため、わずか10日でツァラトゥストラを翻訳した教授」を徹底的に笑い飛ばしています。そこからも筒井氏の「逆説的文学」が見えてきますね。
それでは、また!
理想は絶えることなく語られなければならない。なぜならばそれは「人間の思考がはじまる本質的な基盤」だからだ。エドワード・ハレット・カー【イギリスの歴史家、政治学者、外交官】
参考文献
ヒトラーの科学者たち 作品社
星新一ショートショート1001<1> 新潮社
動物農場  角川文庫
ベトナム観光公社 中央公論社
ブレヒト戯曲全集第3巻 未来社
ガリレオの生涯  光文社古典新訳文庫

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