![]() |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
![]() ![]() ![]() ![]() 旧三部作
![]() ![]()
映画「スター・ウォーズ」(エピソード4)のはじめの方で、ルーカスの生んだヒーロー、ルーク・スカイウォーカーは、砂漠の惑星タトゥーインの家でこんなことをつぶやく。 「もし宇宙のどこかに輝かしい世界があるとすれば、この惑星は、そこからもっとも遠い場所なんだ…」 この台詞は、生まれてから18年間を過ごした場所に関するルーカス本人の感想を要約している。 もしアメリカのどこかに輝かしい世界があるとすれば、【ルーカスの生まれた】カリフォルニア州モデストという場所は、そこから最も遠い町だった。
息子のジョージは、やせこけた体つきで病気がちだった。母親のドロシーも体が弱く、ジョージの少年時代を通して母親は入院しているか、自宅のベッドで寝たきりだった。そんな空白を埋めようと、父親のジョージはパワフルに、時にはパワフルすぎるほど母親の役目をこなした。 彼(父親)は自分の希望と怒りのすべてを、一人息子にぶつけた。そんな親子の愛と憎しみの相剋(そうこく)が、善悪ふたつの父親像、つまりオビ=ワン・ケノービとダース・ヴェーダーというキャラクターを生み、彼の構築した≪スターウォーズ≫世界の中核に据えられたのである。 学校でのジョージはおとなしくて引っ込み思案の子供だった。間もなく彼は学校でのいじめのターゲットにされるようになった。学校からの帰り道、同級生たちに靴をクルミ畑の散水溝へ放り込まれたりした。 そんなことが、すぐ悲観的になる彼の性格を作った要因なのだろう。「何かよくない気配がする…」というフレーズが≪スター・ウォーズ≫の核になっているのは、そのあたりと関係がある。子どもの頃のジョージは、なんとなく周囲によどむ正体不明の脅威にいつも怯(おび)えていたのだ。 ジョージは少年時代の大半をコミック本に熱中して過ごした。<バットマン>、<スーパマン>、<アメージング・ストーリーズ> 学校から帰ってくると、彼はそのまま二階に上がってしまい、好きなコミック本を読みふけって過ごした。彼は、安全で満足できる自分だけの世界へ沈潜(ちんせん)していた。 少年時代の彼は模型作りにも凝った。コンクリート紙を使った山懐(やまふところ)には小川が流れ、精密な家がていねいに作られていた。父親はこの趣味がどうしても理解できなかった。 「彼のやっていることはよく判らない。彼はいつも夢を見ているらしい」と父親のジョージは言ったという。 しかし、父親の言う、“警戒すべき危険な悪魔”とは、大都市に住む人間たちのことだった。 神を畏(おそ)れる父親のジョージにとって、都市という場所は、不義不正の巣、詐欺師と嘘つき、悪徳商人と恥知らずの溢れる場所だったのだ。なかでも最悪なのはロス・アンジェルス、ハリウッド。彼はそこを“シン・シティ(罪の都)”と軽蔑していた。 “シン・シティ(罪の都)”へ行くというジョージの決断は、当然、父親の意見を無視したものである。彼が大学へ行くと伝えたとき、父親との緊張関係は一気に沸騰した。家業の文房具店を継がせたかった父親は、息子の破滅を予言した。
息子との関係改善を目指し、「もし落第したら、即打ち切りという条件」で父親は月200ドルの仕送りを承諾した。 ジョージは確実に卒業できるよう、一般芸術過程を選択した。そして間もなく、映画が彼の熱情を捉えたのである。
しかし彼らは、“スター・ウォーズを没にした男”という飛び切りの汚名をハリウッドに末永く残すことになったのである。 ユナイテッド・アーティスツ社、ピッカーにとっては、ルーカスの企画は金がかかりすぎると感じられた。それにルーカスの主張する特殊効果が、彼の言うようにちゃんとできるかどうか判らない。 ユニバーサル社、タネンはルーカスのファンタジー作品の構想を理解するのが困難だったことを認めた。 またユニバーサル社、脚本評価メモによれば「スター・ウォーズ」が没にされた理由は、ストーリーよりもジョージ・ルーカス本人に対する評価のようだった。
20世紀フォックス社にやってきたジョージ・ルーカスは、“失意の映画製作者”そのものだった。 ルーカスはストレートにユニバーサル社やユナイテッド・アーティスツ社との絡みを説明した。そして20世紀フォックスへ企画を持ち込む前に、二社とも企画をボツにしていることを伝えた。 20世紀フォックス社の重役アラン・ラッドJr【西部劇の名作「シェーン」の主役アラン・ラッドSrの息子】は、誰よりもその契約の性質を理解していた。 「実際に会ってみて、ルーカスは正直そのものの人物であることが良く分かったんだ」 「それはギャンブルだった。そして、僕はルーカスに賭けたというわけだ」のちに彼はそう言った。 ルーカスは、求める宇宙のイメージを明確に持っていた。 <アポロ計画>で地球に戻ってきたアポロ宇宙船の“汚れ具合”にショックを受けた、あの記憶である。 テクノロジーは進歩しても、だからとて故障が絶無になるとか、さびないとか、宇宙船清掃業の必要がなくなるといったことは意味しない。ルーカスは「2001年宇宙の旅」の清潔無垢な空間は忘れてくれと求めた。彼のキーワードは“中古の宇宙”だった。 さらにルーカスは≪スター・ウォーズ≫の宇宙に“リアル”な音がほしいとも主張した。 そしてプロデューサーのゲーリー・カーツは、≪2001年≫や、それ以前のSF映画の決まりであるシンセサイザーや電子音の世界から抜けだしてくれと指示した。 1975年の11月、カーツとルーカスは≪スター・ウォーズ≫へ注ぎ込んだ額がすでに百万ドルになりかけていることに突然気づいた。このままいけば、ワンカットもフィルムを回さぬうちに製作中止へ追い込まれることになりかねない。 すでにフォックス社は、予算についての疑念を深めつつあった。 ラッドは役員たちのところに行き、当初の製作予算の780万ドルを一千万ドルへ増額する承認を求めた。これがなければこの企画は潰れてしまうだろう。 ラッドの≪スター・ウォーズ≫に対する強い思い入れは、一千万ドルを失うよりこの企画を失うことの方がはるかに重大な過失だと役員に語った。ラッドはこの映画の成功を心から信じていて、ジョージを心から信頼していた。 ≪スター・ウォーズ≫の製作は正式にゴーとなった。残っているのは最終契約の話し合いである。 ルーカスは台本執筆料5万ドル、監督料10万ドルの増額を求めることはしなかった。カーツもまたプロデュース料の5万ドルで納得した。 ルーカスと彼のチームにとって大切なのは≪スター・ウォーズ≫の企画そのものを管理する権利、とくに重要なマーチャンダイジング、サウンドトラック、第二作目製作までを含んだ権利だった。この映画をめぐるスピンオフの権利の大半を20世紀フォックス社がこちらへ引き渡すことに同意すれば、彼らは自分たちの取り分を増やす意思はなかった。 結果的にスター・ウォーズ・コーポレーションは、現金収入と引き換えに映画全体をコントロールする権利を手に入れたのである。 そんな犠牲は、その頃の20世紀フォックス社にしてみれば犠牲でもなんでもなかった。 当時の映画産業にとって、音楽やマーチャンダイジングなどは何の意味もなかった。そんな契約条項は、“ゴミ条項”と呼ばれ、契約書に記載されているだけだった。そしてルーカスが≪スター・ウォーズ≫のコミック本やコーヒー・マグを作るという夢を語るのは、20世紀フォックス社側にとっては、ルーク・スカイウォーカーの物語以上に不可解だった。 20世紀フォックス社がこの契約の持つ意味に気がついて、深刻なショックを受けるのは、数年先のことである。
この映画の公開を休暇のシーズンで狙っていたアラン・ラッドJrは、公開を翌年の夏に送ると決断した。(最終的に1977年5月25日に公開された) ところが、公開の遅れがムードを変えることになってしまった。「猛烈なボヤきと心配の声が盛り上がってしまった」ウィガンが言った。 ラッドは、次第に高まってくるフォックス社のルーカスとカーツに対する否定的な態度のクッション役を務めた。 ラッドは、フォックス社の役員の中に“あのサイエンス・ムービー”を嫌っているものがいることを十分にわきまえていた。 しかし、それでも彼はルーカスを支援した。 個人的にラッドがどんな不安を抱いていたとしても、とにかく公の場での彼の≪スター・ウォーズ≫に対する信頼は、終始ゆるぎもしなかった。 フォックス社の周囲では≪スター・ウォーズ≫に対するラッドの一見盲目的にも見える確信が、ジョークの種にまでなっていた。 「彼はひたすら言い続けた。“これは映画産業史上最大の収益をあげる映画になるだろう”それで我々は言ったものさ。“その映画は『収容所』からいつ出てくるんです?”ってね」フリードキンは言った。 「彼は、こうと思ったら徹底的にやり通す男だった。だから、もし≪スター・ウォーズ≫が成功していなかったら、彼の人生はそこで終わっていただろう」レイ・ゴズネルも言った。 フォックス社の内部でも、今や≪スター・ウォーズ≫は肩へのしかかる重荷だった。 アラン・フリーマンというマーケティング担当役員の調査結果によれば、タイトルが最大の問題だというのである。 調査によれば、タイトルの中に“戦争(ウォー)”という言葉が入っている映画は、女性に一本も受けていないというのだ。 「調査によれば、タイトルの中に“ウォー”が入っている映画で八百万ドル以上の成績を上げたものはないというんだ」 それにである。このスター・ウォーズ、つまり“スターの闘い”という題名は宇宙艇の戦闘ではなく、女優のケンカ、「スターのケンカ」だと誤解される恐れがあるというのである。 「≪スター・ウォーズ≫の初公開がたった40館だった理由は何だ?とよく聞かれるんだ。答えは簡単。やっとのことで40館だけが≪スター・ウォーズ≫の公開に契約してくれたからさ。今となっては驚くべき話だよ」ギャレス・ウィガンは言った。 ワーナー・ゴールドウィン・ハリウッド・スタジオの試写室でフォックス社の重役とその夫人に対する試写が行われた。全米から集められた同社の重役・役員・子会社幹部・営業担当などにとって、これは大失敗作だとしか考えられなかった。 「上映中に寝てしまった重役もいた。秘書もひとり…」 「三人が素晴らしい、絶対的に素晴らしい。三人がそこそこ、残りは失敗作か完璧な失敗作だという結果だった」
フォックス社の株をかなり持っているディーガンは、前日のウォール・ストリートで持ち株が異常に値上がりしはじめているという記事を見逃すわけにはいかない。ハリウッドきっての事情通として知られるマーフィー記者にディーガンは連絡を取った。 「≪スターウォーズ≫が昨日封切られた」マーフィーはそう言って「初日としては、史上最大の入りだ。かつてない最高の映画になるのは間違いない」 ゲーリー・カーツが何かとんでもないことになりかけている気配を感じとったのは、その前日の夕方だった。 封切りの当日、彼はワシントンで、電話で聴取者が参加するラジオ番組に出演していた。 番組でのやり取りは、あるカレッジの学生からの電話が来るまでは、別にどうということもなかった。 その相手は、SFのファンではないが、≪スター・ウォーズ≫をすでに見ていて、とてもよかったと言った。 その学生は、恐ろしいほど映画の細部を覚えていて、キャラクターやストーリーについて踏み込んだ質問をしてくる。 「君はずいぶん詳しく知っているんだね?」 「ええ、僕は四回見ましたから…」 ちょっと面食らったカーツは、その朝に封切ったばかりの映画をどうして四回も見ることができたのかと聞いた。 「朝からずっと映画館にいたんです」 それから間もなく、全米の映画館主は、自分の劇場の座席を入れ替え制にしなければならなくなってしまった。 「それまで、映画の観客は好きなときに入って映画を見て、好きなときに出て行くことができた」カーツは説明した。「ところが≪スター・ウォーズ≫で、入れ替え制にしないと新しい客が映画館に入れない事態になってしまったんだ」 ≪スター・ウォーズ≫公開の二日前、5月23日の月曜日にニューヨークの<アスター・プラザ>で行われたプレス試写のとき、いま何が起きかけているかをフリードキンは感じとったのだった。 「それは狂気そのものだった。観客は狂乱状態に堕(お)ちたんだ」フリードキンは、当時を回想しながら言った。試写会を若者で一杯にするよう指示が出ていた。フリードキンは、十八歳の息子を試写に招き、息子はお返しとして友達を5人ばかり連れてきた。 「連中は、試写が終わっても座ったまま動こうともしなかった。そして息子が言うことがさ、“ねえ、お父さん。お父さんは副社長なんだろ?それじゃもう一度、この映画を最初から映すように頼んでくれない?”ときたもんだ」
≪スター・ウォーズ≫初日の売り上げは、二十五万四千三百九ドルという驚異的な数字になった。フォックス社がこれまで持っていた≪タワーリング・インフェルノ≫や≪サウンド・オブ・ミュージック≫の記録を軽くぶっちぎってしまった。それも水曜の一日だけで! ≪スター・ウォーズ≫の惨敗を予測していた連中はたちまち証拠隠滅に取り掛かった。≪スター・ウォーズ≫を見るために数千人の女性が行列を作っているという事実は、アラン・フリーマンの市場調査レポートを奇妙なものにしてしまった。 そういった資料は、フォックス社内のファイルから完全に消え去った。 「すべてのコピーが探し出され、集められ、シュレッダーにかけられたのを覚えている」ティム・ディーガンが言った。 ≪スター・ウォーズ≫は新しい時代の夜明けを作った。 6月はじめのある宵のこと、<マンズ・チャイニーズ・シアター>の近くを歩いていたギャレス・ウィガンは、アーウィン・アレンの見慣れた姿が映画館の中からとことこ出てくるのに気がついた。 ウィガンは、その61歳のプロデューサーが何か呆然とした表情を浮かべているのに気がついた。 「わしには判らん!わしにはどうしても判らんのだよ」彼はウィガンに向かって言いながら、首を振った。「スターがひとりも出てこない。ラブ・ストーリーもない。だというのに、客は、どうしてあんなに拍手をするんだろう?」 「彼は完全に混乱していた」ウィガンは、その日のことを回想しながら言った。 「それは、目の前で世代交代が行われているようなものだった」ウィガンは言った。「それは、彼の眼前を世界がそのまま通り過ぎていくような、残酷だが明快な現実だった」
父親のジョージは息子の安全を確保するために、最初の車は自分が選んで買い与えるのが得策だと判断した。父親が選んだのは小さなフィアット・ビアンキーナ。二気筒のエンジンで、スクーター相手のレースでも勝つには苦労しそうな代物だった。 その日以来、ハイスクール卒業までの日々、そのフィアットの速度を少しでも絞り出すために彼は小遣いのすべてをぶち込んだ。モデストの<フォーリン・カー・サービス>修理工場が、ジョージにとってもうひとつの家になった。 彼にとってその車は自分自身だった。 ジョージはレーシングの世界に首を突っ込み始めていた。当初、彼はピットにこもって他の車のチューンアップを手伝ったりしていたが、間もなく、自分にはドライバーとしての才能があることに気がついた。 ジョージは、モデストの<フォーリン・カー・サービス>修理工場裏にあったゴーカートのトラックで高速走行の技術を学んだ。軽量なフィアットの車体と軽いドライバーの体重のおかげで、ずっと大型でパワーのある車を相手に結構いい勝負をすることができた。カリフォルニア州法で公式レースには21歳以下の参加が禁止されていた。じかしジョージは、そんな規則が適用されない非公式のオートレースがアメリカ中の催し用広場で行われていることを知った。 そして間もなく彼はトロフィをせしめる常連になったのだった。
6月の末、アラン・ラッドJrは20世紀フォックス社映画部門の社長を辞任すると発表してハリウッドを震撼させた。 この地位に就(つ)いて以来、ラッドは映画会社のトップとして、ハリウッド史上最も成功し、高収入を得ている役員として知られていた。 1973年、彼が“映画人のためのスタジオ”の種をまきはじめた年のフォックス社映画部門の年間売り上げは一億五千万ドルだった。それが1978年には三億五千万ドルに迫っていたのである。 彼には≪スター・ウォーズ≫に加え、その年の大ヒットになった≪エイリアン≫、≪ジュリア≫、≪愛と喝采の日々≫、≪オール・ザット・ジャズ≫などの成功があった。 ≪スター・ウォーズ≫成功の余波の中で、常に良くなかったラッドとデニス・スタンフィル(20世紀フォックス社経営責任者)との関係は、最低の状態にまで来ていた。 そして≪スター・ウォーズ≫による臨時の収益をスタッフに分配しようというラッドの提案をスタンフィルが拒否した時、二人の関係は最悪の状態に達した。 ラッド、ギャレス・ウィガン、ジェイ・カンターは、すでに≪スター・ウォーズ≫の思わぬ収益からの分配を得ていた。だから三人は、この作品に関わった映画部門全体がその恩恵にあずかるべきだと役員会に提案したのである。 「我々3人、ラッディ、ギャレス、そして私は、すでに大変な額の金を手にしていたが、現場の連中はもっと高額の報酬で報われるべきだと思ったんだ」のちにカンターは言った。 しかしスタンフィルは、彼らの提案に反対した。ラッドは、スタッフの苦労に報いる感謝の意思表示として、ささやかな金を支出することもできないのをとても残念に感じた。 ラッドはまた、壊滅に瀕していたこの会社を劇的なまでに好転させた自分に対し、役員たちが信頼を示そうとしないことに怒りを感じていた。 「会社の連中で、我々のところに来て“よい仕事をしてくれた”とか“会社の利益の85パーセントを占める映画部門で見事な実績を上げてくれて感謝している”と言ったものは一人もいない。フォックス社の業績が、映画業界のあらゆる記録を破った時でさえ“よくやってくれた”と言ったやつは一人もいない」ラッドは言った。 「彼らの態度はほとんど敵対的だった。役員どもの大半は“そうかね、連中はラッキーだっただけだろう?連中はいつでも映画ばかり見て、映画スターとディナーに行って、大名行列ができてさ…”という感じなんだ」 ≪スター・ウォーズ≫が彼を絶頂にまで押し上げたとするなら、そこから転落させた原因の一端もまた≪スター・ウォーズ≫だった。 スタンフィルは、ラッド、ウィガン、カンターの三人に対し、ただちにオフィスを明け渡すようにと通告した。 そんなわけでルーカスは、借り入れ保障の件で、新体制のシェリー・ランシングと話し合いをしなければならなかった。 ルーカスは、帝国の“逆襲”ならぬ“噛(か)み返し”を食らい、深手を負った。 この責任をぶつける相手をと見まわしたルーカスは、そこにゲーリー・カーツがいることに気がついたのだった。 ゲーリー・カーツは、ルーカス帝国との決別の日が迫っていることを感じていた。 ルーカスが≪アメリカン・グラフィティ≫という企画のプロデュースのためカーツにアプローチしてきてから、七年の歳月が過ぎていた。 「彼らは信じられぬようなチームでした」一貫して彼らと一緒にやってきたバニー・オルソップは言った。彼女は、カーツという存在こそ、ルーカスのプロフェッショナルな生活を支える基盤だと見てきた。 「ジョージにとって、すべては辛いことでした。監督という仕事も、脚本を書く仕事も、彼には辛いことでした。ゲーリーは常にそんな彼の側に居て、台本の執筆をはじめ、すべての仕事を助けたんです。それぞれが個性的で、クリエイティブな才能に恵まれ、映画というものの側面をすべて知りつくしていました。二人とも編集というもの、演出というもの、撮影というものまで、すべてをちゃんと弁(わきま)えていました。これは滅多にないことです」彼女は言った。 しかし、そんな二人は徐々に離れつつあった。 カーツによれば、彼とルーカスが“二人の時代の終り”を確認しあう正式のテーブルにつくことはなかった。 バニー・オルソップは、カーツと共に、彼がサン・アンセルモの学校跡に作った新会社≪キネトグラフィックス≫社へ移ることを決断した。ルーカスのオフィスを離れるその日、彼女は涙を流したという。 そしてそれからの数年間、ゲーリー・カーツの≪スター・ウォーズ≫への貢献を無視するハリウッド内外の心ない仕打ちに、彼女は怒り続けた。 「≪スター・ウォーズ≫の歴史を書くとすれば、ゲーリー・カーツこそがキーなのです」彼女は言った。「ジョージがもう一人のゲーリーを見出さない限り、もう一度≪スター・ウォーズ≫が生まれることは絶対にないでしょう」 ≪帝国の逆襲≫の製作中から、ゲーリー・カーツはルーカスフィルムの機構が膨張していくことについてあちこちから警告されていた。 「すべてが膨張していった。我々が≪スター・ウォーズ エピソード4≫を製作したときは、たった六人だった。ある程度規模が膨らむのは当然だが、これはもう常軌を逸していた。具体的な見通しもないままに、ただ膨らむだけなんだ」カーツは言った。 小規模で楽しく家庭的だったルーカスフィルムのオフィスは、あの大きいばかりで顔というものがないハリウッドの典型的な映画会社へと進化しつつあった。 ルーカスフィルムに最も長く籍をおいてその組織を離れたひとりの女性は、ルーカスフィルム帝国がこんな具合に大きくなっていくのがたまらなかった。 「組織化されて大きくなり、ちょうどユニバーサル社そっくりになっていくの」彼女は言った。「会社のフィーリングが変わるんです。家庭的な親しい雰囲気がなくなっていくように思えました」 「ジョージとしては、≪スター・ウォーズ≫が成功しすぎたものでどうしようもなかったのよ。彼は会社を大きくしなければならなかったし、映画作りとは縁のない人々を雇うしかなかったの。でも、それが会社のトーンを変えることになったんです」
デスクの上に散乱している業界紙の切れ端は、みんな記録破りの興収に関するものばかりである。事務所の中には本当の幸福感が横溢(おういつ)していた。 しかし、何となく顔色の優れないルーカスが話を始めた途端、そんなムードは消し飛んでしまった。 ひどく頼りない声で、ルーカスが切り出したのは、14年間連れ添った妻のマーシャと離婚の途(みち)を探っているという事実だった。 短いスピーチの間、彼とマーシャは手を握りあったままだった。 彼らの頬を滴(したた)り落ちる涙が、はっきりと見てとれた。 友人たちは、その知らせに仰天した。 彼らは完全に幸せな夫婦と見られていて、トラブルの気配など皆無だったのである。 しかし…。 数年前から彼らの危機を感じていた者もいた。ジョージの、仕事を他へ任せきれぬ性格が、マーシャのいら立ちのもとになっていた。 「≪スター・ウォーズ≫の時、マーシャは、これ以上ジョージと一緒には編集できないと言った」(マーシャは超一流の映画編集者)「もしそれをやらなければならなくなったら、その時は結婚が終わる時だ、と…」 ルーカスは≪ジェダイの復讐≫のオープニングに向けて問題を抱えていたことを認めた。 「いつもいつも悩みに悩み、不安に不安を重ねる男と一緒に暮らすことは、マーシャにとって耐えられないことだったと思う」と彼は告白した。 しかし、その言葉が彼の口から出たときは、もう遅すぎた。 マーシャに別の男がいることも明らかになった。スカイウォーカー・ランチで働いていたトム・ロドリゲスで、のちに二人は結婚した。 ルーカスにとってその損失は耐えきれぬほど深刻なものだった。 ≪スター・ウォーズ≫の成功と、スカイウォーカー・ランチの設立に全力を注いできた彼は、その成果を分ちあうたったひとりの伴侶(はんりょ)を失ってしまったのである。
撮影現場を離れたフィッシャー、フォード、ハミルの力関係は、そのまま≪スター・ウォーズ≫の鏡像だった。 のちにハミルが認めたのだが、フィッシャーは、長身のフォードのかっこよさとずけずけした物言いに痺(しび)れていた。 「ハリソンの顔を見つめ、声を聞くと、まるでピストルでも持っているみたいな危険な雰囲気を肌で感じるのよ。彼は信じられないほど魅力的なオスの獣だったわ。形容する言葉がないほどだった。あの“大工あがり”は…」(注:ハリソン・フォードは、このころ俳優だけではなく大工の仕事もしていた)彼女は言った。「生まれてから、あんな印象を受けた人はいなかったわ。私には彼がスペンサー・トレーシーやハンフリー・ボガート クラスのスターになるのが判っていたの」 三人組は親密だった。 とくにフォードとフィッシャーは。 「ハリソン・フォードの居場所がどうしても判らない時、“キャリー・フィッシャーの更衣室を覗いてみたか?”というのが決まり文句だった」と話してくれたのが、ダース・ヴェーダー役のデイブ・プラウズである。
「俺はSFについては何も知らなかったんだ。これ(スター・ウォーズ)はストレートで人間くさい物語だ。SFっぽく演じたりしなくていいんだよ」 彼は、自分独特の辛辣(しんらつ)なユーモアで、ハン・ソロの皮肉っぽいキャラクターを浮き上がらせた。そしてアドリブをやる前に予告したりした。 「もし、よくなかったらストップをかけてくれ!」彼はそんな具合にルーカスに声をかけた。 彼は、ソロのアドリブで名作といわれるものを二つ引き出した。ひとつは、言葉に詰まった彼がレーザー・ガンで無線機を木っ端みじんにしてしまうシーン、そしてもうひとつは、巧みな射撃をするルークに向かって「やるじゃねぇか、小僧!でも図に乗るなよ!」と警告の声をかけるシーンである。
ギネスとルーカスは何度も話し合った。気のふれた老人の役を嫌いながらも(最初の設定ではオビ=ワンは気のふれた老人として登場することになっていた)オビ=ワンのおかしな部分を弱め、神秘的な高貴さを強める案を提示した。 ルーカスはこのアイデアに乗った。これによって、オビ=ワン・ケノービに象徴される善と、ダース・ヴェーダーによどむ暗い悪との違いがくっきり際立つと思ったのだ。 役者としての振る舞いに関し、ハリソン・フォードほどギネスから学んだ役者はいないだろう。 ≪アメリカン・グラフィティ≫のころ、セットでのフォードの態度は無作法だとルーカスは感じたものだった。「≪グラフィティ≫の頃のフォードにはちょっと粗暴なところがあった」と彼は回想した。 ところが今回の撮影現場でのフォードは、イギリスの役者の取り組み方の違いに注意を払っていることに、ルーカスは気がついた。 「≪スター・ウォーズ≫のとくに一作目の撮影で彼はいろいろと学び、イギリスの俳優、とりわけアレック・ギネスに様々な影響を受け、役者として一段と円熟したんだと思う」ルーカスは言った。「彼は、真のプロの仕事をちゃんとつかみ始めていた。セットに入る時は事前の“宿題”をちゃんとこなし、無駄な時間を食うこともなく、すべてプロとして必要なことをこなす役者に囲まれていたことが良かったんだと思う。フォードはその時点で、非常によいプロの役者へと成長した。彼はこれまでとは違った方向へ自分を育てたんだと思う」 歴史上、もともとの台本通りにきっちり製作された映画など存在しない。 だが、アレック・ギネスが台本修正の犠牲になったとき、彼は決して好感を示さなかった。 チュニジア・ロケの終り頃だが、ルーカスとカーツは、映画の後半におけるオビ=ワン・ケノービの役柄について心配し始めた。 台本でのオビ=ワン・ケノービは、ダース・ヴェーダーとの決闘で重傷を負い、ルーク、ハン・ソロ、レイア姫に救出され、宇宙艇ミレニアム・ファルコンで脱出することになっていた。 ルーカスの心配は、このシーケンスが、ストーリーのテンポを殺(そ)ぎそうな気がすることだった。 オビ=ワン・ケノービはその決闘で死に、後は“精神的な守護役”として現れる…というのが最良の解決だと思われた。 「それの方がずっとよく、映画の軸となる“フォース”の意味付けになると思ったんだ」カーツは言った。 この変更が、ギネスのエージェントであるジュリアン・ベルフレージのもとに届いたとき、彼は、ギネスを映画から下ろすと脅かした。しかし結局ルーカスとカーツは、その方がメリットのあることを説得するのになんとか成功した。 カーツはそのやり方がエラーであると認めた。「もっと早く何らかの手を打つべきだった」と彼は言った。
「出演者の全員が、僕のところにボヤキに来た。“ジョージは何も言わないから、自分の演技はこれでいいのかどうかが判らない”というんだ」カーツは言った。 このプロデューサーは≪アメリカン・グラフィティ≫でも同じことを経験していた。 「リチャード・ドレイファスがジョージに向かってこう言ったのを思い出したよ。“僕はこの映画に出ているのかね?”」カーツは言った。「役者全員が自信をなくし、フィードバックを求めていた。監督の仕事の大きな部分は、現場にいて、彼らに手を貸すことなんだ。ところが、ジョージが監督を嫌う理由のひとつがそれなんだ。もともと彼は他人と絡むことを嫌う性格だからね」 製作が進むにつれて、役者たちは監督からの指示を期待しなくなってしまった。 ルーカスはみんなから距離を取る姿勢を保ち、時として本当に鬱々(うつうつ)と楽しまぬ様子だった。 ルーカスは、自分の幻滅感を隠そうとはしなかった。 報道関係者のひとり<ロス・アンジェルス・タイムズ>の批評家チャールズ・チャンプリンは、ルーカスの沈んだ気配を感じとった。彼は≪アメリカン・グラフィティ≫がヒットした後、≪スター・ウォーズ≫の企画を棚上げにすべきかどうか悩んでいたと認めた。 「本当は、≪グラフィティ≫で得たものでそこそこの暮らしをしながら、もう金など1セントも稼がずやっていきたかったんだ」彼は言った。 ルーカスには、これだけの規模の映画製作の地獄を仕切る資質がなかった。 「製作予算が二、三百万ドルを越えると、映画の製作現場をまったく別のルールが支配し始める。現場のあらゆる側面に対する個人の接触、個人の干渉が不可能になる。必要とされるすべての細部にちゃんと目を通すことができる稀有(けう)の才能の持ち主、例えばキューブリックでもない限りは…」彼は言った。 ルーカスは、カリフォルニアかニューヨークに早く戻りたいと願った。 そこで小さな実験映画を製作するか、画廊を開く…。 「こんな大きな仕事はもう二度とご免だ、と思った。僕はこんな企画に向いていない」彼はため息を洩らした。「僕は大艦隊の提督ではなくて、船長になりたいんだ」 撮影完了の日が近づいたころ、ルーカスは沈没に瀕した船長の心境になっていた。 すでに彼は、二度と映画の監督はしないと心に決めていた。
アラン・ラッドは、ルーカスの仕事の状況を見るためにロンドンの撮影所に乗り込んだ。 初期に撮影された、ルークが農場を出て夜のアンカーヘッドの賭博場へと向かう(本編には使われてはいない)シーンを見たとたん、ラッドの微笑はこわばってしまったのである。「これじゃ、宇宙版≪アメリカン・グラフィティ≫じゃないか」とラッドは言った。 ルーカスは長い間、厳しい表情で、そのシーケンスをくり返し検討していたが、ついにカットを決意した。 こうして≪スター・ウォーズ≫に対するクー・スタークの出演は無残にも切り捨てられてしまったのだった。
ダース・ヴェーダーとチューバッカである。 ルーカスはこの宇宙冒険活劇のストーリーを説明したが、キャラクターについて詳しいことを何も話さなかった。 「チューバッカというのは何者ですか?」プラウズは聞いた。 「彼は毛むくじゃらのゴリラで、善い方なんだ」 「それで、ダース・ヴェーダーは?」 「悪の主役だ」 長いキャリアから、悪役の方が売り出す可能性は大きいとプラウズは考えた。まさかダース・ヴェーダーがマスクを被りっぱなしだとは考えもしなかった彼は、すぐに返事をした。 「私は悪役の方を選びます」 「どうして?」ルーカスは聞いた。 「観客は彼のことを忘れないでしょうから」
「ロス・アンジェルスのオフィスに男が入ってきて、ジェダイの騎士にしてくれと言って、秘書にナイフを突きつけたんだ」ルーカスは、当時のことを思い出しながら言った。 「もう一人、これは本当に頭のおかしいのがやってきて≪スター・ウォーズ≫を書いたのは自分だから一億ドルの小切手を受け取りに来た、と真面目な顔で言うんだ」 アレック・ギネスでさえ、狂気の沙汰に巻き込まれた。 「本当に皆がおかしくなりかけていた」彼は言った。「カリフォルニアの全然知らない夫婦から手紙が来て、夫婦の問題で悩んでいるからすぐに来てほしいと言うんだよ。“貴方に一週間ほどご滞在願い、ベン・ケノービとして我々夫婦の抱えている問題を解決していただきたいのです”」 のちにギネスは泣き落とされて、サン・フランシスコのSF大会へ参加したことがある。「私はお客とのQ&Aをやらされた。別に問題もないと思ってた」彼は言った。「ところが十二、三歳くらいの男の子がいきなり立ち上がって言うんだ。“僕は≪スター・ウォーズ≫を百十回見ました”それで私は言った。“頭を冷やして、また来てくれないかね。彼の母親がいればいいんだが”」 ギネスはその少年に対して、おかしくなりかけているぞと警告したのである。「私は言った。“お願いだから、もう二度と≪スター・ウォーズ≫を見ないでおくれ。君の人生によくない影響が出始めるから”それを聞いた彼はわっと泣き出したけれどね」 ファンタジーは、厳しい現実を生きている人々にとって安らぎになるものである。 「みんなは、自分たちの周囲に存在しないものを求めているんだよ」ギネスは言った。 「しかし、観客が現実と虚構のけじめをつけられなくなると恐ろしい」ゲーリー・カーツは言った。 「現実の自分の生活に対応しきれなくなって、ファンタジーの世界に逃げ込んでしまうんだ」 ![]() この後は、スターウォーズとマッチ売りの少女の共通項についてです。
|