イラストで読む 白雪姫 ゲーテのファウスト 生きる
白雪姫深読みする!
白雪姫に登場する、悪いお妃さまを深堀りすると…、演技が上手になる?
白雪姫のお妃さま (お母さん・継母) は、悪い人!
子どもに理解してもらうには、それが一番わかりやすい説明かもしれませんね。
じゃあ大人向けに解釈するとどうなるか?
お妃様は、悪いことがしたかったのではなく「誘惑に負けた」と考えると、演技に深みが出てくるよ。
お妃さまは鏡から、こう告げられます。

「お妃さま、あなたは美しい。でも白雪姫はもっと美しい」
これがお妃さまに殺意が生まれたきっかけなんだけど…、お妃さまの目的は、「一番美しくあること」だよね?
白雪姫を殺すのは、一番になるための「手段」。手段と目的とは、分けて考える必要がありますね。

「一番になりたい」と思うことは悪いことではないわ。向上心がなくなったら成長しようとする意欲もなくなるでしょ。

ここで問題なのは、一番になるためにお妃さまがとった「行動」なのよ。
競争することは悪ではない
他人を妬(ねた)む気持ちに気をつけよう。
今、幼児教育の現場では「みんな同じ・平等」という教え方が主流だといわれてます。
運動会の徒競走で、みんな仲良く手をつないでゴールするとか、お遊戯の発表会では、たくさんの赤ずきんや浦島太郎が登場するとか、ですね。
だけどここで考えなければいけないのは、競争するのが悪ではなく、「他人を妬(ねた)む」気持ちに気をつけよう、ということ。
子供たちに教えなければいけないのは、そっちだと思う。(人間は平等だ、という考えには賛成だけど)
お妃さまのお話に戻りますね。
お妃さまは、自分が一番美しくありたかった。

「一番になりたい」そう願うことは悪いことではない。
お妃さまの考えで残念なのは、白雪姫を亡きものにするのが一番になる方法になっちゃったこと。
一番になる手段で推奨されるのは【自分を磨くこと】。他人を殺すことではないわ。
白雪姫に嫉妬して「負けたくない」気持ちを、自分を磨くエネルギーに変えていければ良かったんだけど…。

さあ、掘っていくわよ。
強調するのは
「誘惑に負けた」こと。
一番になるためには自分を磨くこと、磨き続けること。

だけどそれは簡単じゃありません、困難を極めます。なにをやってもうまくいかない、どんなに努力してもダメ。そんなとき、ついつい人はこう考えてしまいます。

「あんなやつ、いなくなっちゃえばいいのに・・・」
お妃さまは誘惑に負けちゃったんですね…。
お妃さまは、悪いことがしたかったのではなく、誘惑に負けてしまった。そしてそれは誰にでも起こることなのかもと考えることで、大人向けの、奥の深い演技が出来るようになるよ。
ほんとうはお妃さまは短絡的で、何も考えてなかったのかもしれないけどね(笑)。
だけど深い解釈が出来るようになれば、短絡的な演技は容易だものね。
最近アニメや映画とかでも、そういう作品は多くなってますね。

自分は悪いことをしようとしているんじゃない、理想を追求しているだけだ。だからこれは、やむを得ない手段なんだ。

お妃さまの考え方と似てますね。
この考え方は、ピカレスクロマンね。お妃さまの考えと、ピカレスクロマンは違うけど、なんとなく似てるわね。
  • ピカレスクロマンとは、16世紀から17世紀のスペインで流行った小説の形式です。悪者を主人公にして、悪者の視点で物語が進行していくのが特徴です。
悪魔の誘惑に身をゆだねた物語といえば、ゲーテのファウストが有名ね。
それでは最後に、人生に絶望しても前を向いた主人公のお話をふたつ紹介します。
「生きる」黒澤明監督作品と
「ファウスト」の関連性
ファウスト
悲劇の第二部 第四幕 高山
メフィスト
あなたはなにせ満足を知らないから、
いっこう、気をひかれるものがなかったんでしょうな?
ファウスト
ところが、ある!大きなものがわしを引きつけた。
あてて見ろ!
【中略】
事業がすべてだ。名声は無だ。
<参考文献>
「ファウスト」 ゲーテ 高橋健二 訳 角川文庫
ここの場面。
黒澤明監督の名作「生きる」の“あらすじ”と言ってもいいくらい、非常に良く似ています。
しかも「生きる」にも、メフィスト・フェレスは出てくるんです。主人公が癌(がん)であることを知り、人生に【絶望した】居酒屋の場面にね。
「ファウスト」でも、学問や知識に【絶望した】ファウスト博士の前に、メフィストが登場するんでしたね。
「生きる」の主人公 渡邊さんは、メフィストに導かれるまま、人生の快楽をいろいろ味わいますが、どれにも【満足せず】、公園づくりという【公共事業】に打ち込み、己が【名声】には目もくれませんでした。
「だれにせよ、たえず努めてたゆまぬものを われらは救うことができる」〜ファウストの魂が救済されるカギとなる詩〜 ファウストは悪魔と契約しながらも、不断の活動にともなう幸福感を忘れず、天に召されます。
「生きる」でブランコに揺られながら渡邊さんが歌う有名な場面は、ファウストのクライマックスと同じく「魂の救済」を表していたのかもしれませんね。
「ファウスト」は角川文庫【韻文(いんぶん)訳⇒詩】。集英社文庫【散文(さんぶん)訳⇒小説】の二つを読み比べてみましたが、難しいですね。
「ファウスト」集英社文庫版の翻訳者、池内紀氏は、あとがきでこう述べています。
「ゲーテの本はそれだけで書棚が埋まってしまうほどたくさんあるし、ゲーテの研究書となると図書館ができる。研究書にあたるだけで一生が終わってしまって、肝心のゲーテにたどりつけない。
あきらかに(ファウスト)第二部は入り組んでいる。時間と空間が錯綜(さくそう)していて、一見のところよくわからない。たいていの読者が途方にくれ、そのうち投げ出す。
意味を解きあぐねるのは、ゲーテ学者たちもまたそうであって、おびただしい『ファウスト』注解書は、第二部にいたると きまって原文以上に難解になり、錯綜していく。」
「わからなくても読む」について、開高健氏が「動物農場」ジョージ・オーウェル著 角川文庫版のなかで次のように述べています。
24金の率直
―オーウェル瞥見―
未成年のときに読んで閃光(せんこう)をおぼえた書物を成人になってから読みかえして枯木しか発見できないことがある。
その逆もまたあって、未成年のときに道ばたの石ころにしか感じられなかったのが成人になってから とつぜんそそりたち のしかかってくるような巨岩になっているのを発見することもある。
また、なかには、ごく少数だけれど、未成年から成人まで、いつ頁を繰っても閃光でもなければ巨岩でもないが、こころが渇(かわ)くか くたびれるかさえしていたら いつ読んでも変わることなく澄み切った渓流(けいりゅう)の水のように身に沁みてくるのもある。
書物も人間とおなじようにたえまなく興亡、明滅しているのである。
【中略】
『動物農場』はさりげない一句や一行の背後に、厖大(ぼうだい)な、複雑怪奇をきわめた歴史の研究をかくした寓話(ぐうわ)である。
読む人がこの主題にどれだけ関心、情熱、経験、学識、覚悟が、あるか、ないか。そのこと次第でどうにでも浅くなったり深くなったりする、容易ならざるおとぎ話である。
この作品が身にしみてくるときはこの作品を読めなくなるときである。この作品の真の読者はこの作品が出版される国にはいないのである。
これは禁書にならなければその本質としての痛切があらわれてこない、あの不幸な一群の傑作のうちの一つである。オーウェルは優しさを守りたい一心で残酷を生んでしまったのである。
その毒が麻痺した私たちにとってのこのうえない薬なのである。
参考文献
「動物農場」 ジョージ・オーウェル 角川文庫より
ジョージ・オーウェルなら「1984年」も面白いよ。

以上、「白雪姫のお妃さまをメソッド演技で深堀りすると演技が上手になるよ」というお話でした。
  • 本日の教訓
  • 嫉妬の暗黒面【ダークサイド】に堕ちないように気をつけよう。
  • スターウォーズ?
【ブログ】嫉妬(しっと)は競争心と表裏一体。嫉妬は女性より男性のほうが強い?<無料です>
おまけ
白雪姫に出てくるお妃さまは、初版グリム童話では実の母親になっています。「それでは子どもに読ませられない」という意見が読者からあり、第二版から継母に変更され、さらに第三版からお妃には妖術の心得があり、その妖術で毒のついた櫛を作るという文が加えられたのです。
当時の市民的規範による家庭観からすると、実の母親が子供を捨てたり、殺したりすることはあってはならないことでした。それは継母でも同じことです。だからこそ継母を、普通の人間ではない魔女にしてしまう必要があったのかも知れませんね。【参考文献 「グリムにおける魔女とユダヤ人」 鳥影社】
また魔法の鏡の声とは「国民の声である」という解釈があります。
現代に置き換えますと 「なんかお妃さま劣化しちゃったよね。白雪姫のほうがいいよね」 というネットのコメントに、お妃さまは自分を見失ってしまったというところでしょうか。
ちなみに嫉妬深さでは、ギリシャ・ローマ神話に登場する美の女神アフロディーテ【ローマ神話ではヴィーナス】も負けてません。アフロディーテは自分より美しい者には決して容赦せず、呪いや罰を与えました。しかも惚れっぽくて浮気者。いい男とみれば誘惑して自分のものに…ということでも知られています。
白雪姫のお妃さまよりひどい…。