子どもに理解してもらうには、それが一番わかりやすい説明かもしれませんね。 じゃあ大人向けに解釈するとどうなるか? お妃様は、悪いことがしたかったのではなく「誘惑に負けた」と考えると、演技に深みが出てくるよ。
白雪姫を殺すのは、一番になるための「手段」。手段と目的とは、分けて考える必要がありますね。 「一番になりたい」と思うことは悪いことではないわ。向上心がなくなったら成長しようとする意欲もなくなるでしょ。 ここで問題なのは、一番になるためにお妃さまがとった「行動」なのよ。
運動会の徒競走で、みんな仲良く手をつないでゴールするとか、お遊戯の発表会では、たくさんの赤ずきんや浦島太郎が登場するとか、ですね。 だけどここで考えなければいけないのは、競争するのが悪ではなく、「他人を妬(ねた)む」気持ちに気をつけよう、ということ。 子供たちに教えなければいけないのは、そっちだと思う。(人間は平等だ、という考えには賛成だけど) お妃さまのお話に戻りますね。 お妃さまは、自分が一番美しくありたかった。 「一番になりたい」そう願うことは悪いことではない。 お妃さまの考えで残念なのは、白雪姫を亡きものにするのが一番になる方法になっちゃったこと。 一番になる手段で推奨されるのは【自分を磨くこと】。他人を殺すことではないわ。 白雪姫に嫉妬して「負けたくない」気持ちを、自分を磨くエネルギーに変えていければ良かったんだけど…。 さあ、掘っていくわよ。
お妃さまは、悪いことがしたかったのではなく、誘惑に負けてしまった。そしてそれは誰にでも起こることなのかもと考えることで、大人向けの、奥の深い演技が出来るようになるよ。 ほんとうはお妃さまは短絡的で、何も考えてなかったのかもしれないけどね(笑)。 だけど深い解釈が出来るようになれば、短絡的な演技は容易だものね。 最近アニメや映画とかでも、そういう作品は多くなってますね。 自分は悪いことをしようとしているんじゃない、理想を追求しているだけだ。だからこれは、やむを得ない手段なんだ。 お妃さまの考え方と似てますね。 この考え方は、ピカレスクロマンね。お妃さまの考えと、ピカレスクロマンは違うけど、なんとなく似てるわね。
それでは最後に、人生に絶望しても前を向いた主人公のお話をふたつ紹介します。
以上、「白雪姫のお妃さまをメソッド演技で深堀りすると演技が上手になるよ」というお話でした。
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当時の市民的規範による家庭観からすると、実の母親が子供を捨てたり、殺したりすることはあってはならないことでした。それは継母でも同じことです。だからこそ継母を、普通の人間ではない魔女にしてしまう必要があったのかも知れませんね。【参考文献 「グリムにおける魔女とユダヤ人」 鳥影社】 また魔法の鏡の声とは「国民の声である」という解釈があります。 現代に置き換えますと 「なんかお妃さま劣化しちゃったよね。白雪姫のほうがいいよね」 というネットのコメントに、お妃さまは自分を見失ってしまったというところでしょうか。 ちなみに嫉妬深さでは、ギリシャ・ローマ神話に登場する美の女神アフロディーテ【ローマ神話ではヴィーナス】も負けてません。アフロディーテは自分より美しい者には決して容赦せず、呪いや罰を与えました。しかも惚れっぽくて浮気者。いい男とみれば誘惑して自分のものに…ということでも知られています。 白雪姫のお妃さまよりひどい…。 |